前園長の書棚より 詩『草にすわる』八木重吉

園長 東 晴也

9月7日(土)午後に行われる保護者会(ひかり会)主催のバザーにむけて、東温子前園長の書棚を眺めていたとき、八木重吉の詩集を見つけました。私は、すぐその詩集の中から、私にとって思い出深い詩を探し出しました。

「草に すわる」八木重吉
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

この詩と出会ったのは、恩師 桝本楳子先生(ますもとうめこ 山形県小国町・基督教独立学園高等学校の元書道教師)が亡くなった後、先生の書展を山形市の文翔館(旧県庁)で開催した時でした。楳子先生は、詩人の詩や聖書の言葉、内村鑑三の短文などを半紙に書いて、一人ひとりに別々のお手本を配って教えて下さる先生でした。その書展のタイトルとして使われたのが、この詩「草にすわる」だったのです。

私が高校教師として最初に赴任したのは、この母校基督教独立学園でした。印象に残っていることの一つは、とにかく職員会議が長い!午後1時40分に始まって、終わるのが午後6時頃。そこで終わらなければ、夕食後に再開するというもので、これが毎週ありました。なぜ長時間になるか?それを私流に一言でいうと、「真理を探求するために、審議を尽くす」というこの学校の大前提があったからだと思います。少なくとも私が勤めていた時代はそうでした。ですから、校長が簡単にその議論をまとめないのです。教職員一人ひとりが議題に主体的にかかわって、自分の考えを主張する。そこで議論が深まっていき、司会者の主導でなんとか1つの結論に合意していく、という流れがどの議題においてもあったので、時間がかかったのだと思います。ですから、その議論はやや批判的なものでした。これは議論には必要な要素なのでしょうがないのですが、自分の主張が通らないときなど、それが生徒の成長のためだと思ったときほど、私は首をうなだれて、同じ敷地内にある自宅に帰るのです。

そこで、玄関に入らず、自宅のガレージで、長靴に履き替え、裏山に登るのです。夕陽に照らされた、下叶水の水田や山稜を見ながら、湿った冷たい草の上に腰を下ろし、自分の頭と体を冷やすのです。

「わたしがまちがっていた のかもしれない」

私の凝り固まった自意識のようなものが、体から地面へ放電されていくようで、暗くなるまでしばらく自分を落ち着かせるときが、何度もありました。

温子園長は、どんな思いでこの詩集に目をとおしていたのだろう。

ひかりの園児の皆さんは、よく裸足で園庭に飛び出していきます。それは、おそらくそれが気持ちいいということを分かっているから……だけではなく、「本来の私」へ引き戻してくれる「大地の力」のようなものを感じているからではないか、と当時の私を思い出しながら、考えました。(2024.8.27)

*「『園長!』の写真日記」は、ひかり幼稚園在園児及びそのご家族を念頭に、その日にあった出来事を写真と共に振り返りつつ、執筆するものです。