今朝、登園後しばらくして、先日設置されたばかりの御正進(みしょうすすむ)の彫刻《作品名不明「笛を吹く少女(仮)」》を、じっとみつめている年中のHさんの姿がありました。たった一人で、あの彫刻を見つめている姿が印象的だったので、少し声をかけてみました。
「Hさん、どうしたの?」Hさんは、私をまじめな顔で見返して、
「どうして、はだかなの?」と、聞くではありませんか。
私は、この質問の真っ直ぐさと彫刻表現によくある特徴をこの5才児が指摘した点において驚かされました。そして、
「いい質問だね。どうしてだと思う?」と、逆に聞いてみると、Hさんは間髪入れずに
「神様だから?!」と答えてくれました。
「えっ、どうしてそう思うの?」と、さらに聞く私に、ちょっと考えていたHさんは、
「……わからない」と、言い残して飛ぶように走って行ってしまいました。
彫刻表現のスタイルの1つに、人体は裸体で表現するという方法?があるようです。上野の国立西洋美術館の玄関にあったロダンの『考える人』も裸体。ルネサンス期の巨匠ミケランジェロの彫刻も多くが裸体です。『ダヴィデ』像も裸体。これは旧約聖書に登場し、後にヘブライ王国の王となるダヴィデが、戦闘中の敵将をにらんでいるらしいのです。史実は、戦争中に兵士が裸であるはずはないのに、わざわざミケランジェロは裸体で表現しているのですね。
女神を描いた芸術作品として、私でもすぐ思いつく有名な作品がいくつかあります。1つは、彫刻『ミロのヴィーナス』(作者不明、紀元前2世紀)。腰から上は裸です。もう1つは、絵画『ヴィーナス誕生』(ボティチェリ、15世紀)。中央に描かれている女神は全裸です。この2つの作品に共通しているのは、ヴィーナス(愛と美の女神)が美しい裸体で表現されている点です。
私は、Hさんが、御正の作品を見て、「きれいなはだかで表現されているから、これは神(女神)なのかな!?」と考えたとすれば、2000年以上にわたって美しい女神を表現する一つのスタイルを、学習によってではなくほぼ直感で言い当てたとすれば、わずか人生5年しか生きていないHさんの想像力、判断力や表現力の高さを感じざるをえません。
このように私たちの想像力を刺激してくれる御正の作品としての力に感謝です。そして、なによりHさん、私の難しい問いに向き合って応答してくれて、どうもありがとう!
*「『園長!』の写真日記」は、ひかり幼稚園在園児及びそのご家族を念頭に、その日にあった出来事を写真と共に振り返りつつ、執筆するものです。