何事にも時がある

園長 東 晴也

今月23日、保育室では「すみれ組を送る会(卒園式)」が行われました。
幼稚園の私は、保育室(3歳まで)の子どもたちとは、園庭で遊んでいる場面でしかふれ合うことはありません。その中でこの一年間、特に印象的だったお子様を、今日はご紹介させて下さい。

幼稚園には、小動物(鶏、くじゃく、インコ、うさぎ)がいるので、土日にも出勤して餌当番をします。すると、土曜日に登園している保育室の子どもたちと園庭でお会いするのですね。幼稚園はお休みですから、当然がらんとした園庭を2,3人で独占して遊んでいます。園内のいろんな所にある動物の小屋で、私が餌をあげていると、保育室の子どもたちが近くに寄って来て、そのたびに声をかけていました。

今月、保育室を卒園した子どもたちの半数は、他の幼稚園や保育園に行かれます。土曜日によくお会いしたM君やMさんも、4月から他園への入園が決まっています。
M君とMさんは、昨春、出会ったときから私には印象的なお子さんでした。二人とも私をよく見つめる人でした。M君は明らかに好意の眼差しで、私が両手で抱っこしようとすると嫌がらずに抱っこさせてくれて、当初からいろんなお話をしてくれるお子さんでした。逆に、Mさんの眼差しは、私をしっかり見つめつつもそれは好意とは異質の、対象(私)を観察するような、分析でもされているような眼差しなのです。Mさんは、じっとこちらを見つめつつも、私が抱っこしようとしたり、ハイタッチしようとしたりしても、すべて首を振って拒否するお子さんでした。そのことを施設長のM先生に話した時の回答は忘れられません。
「園長先生、そりゃそうですよー。私たちだって、抱っこさせてもらえるまで一年かかりましたからー。」えっ、一年も……。

あれから私は園庭でMさんに会うたびに声をかけ、手のひらをさし出してタッチしようとしましたが、長い間、全て首を横に振るばかり。ハイタッチで手のひらを合わせてくれたのは、もう初冬のころです。運よく手のひらタッチが出来たとき、調子にのって、抱っこさせてと両手を差し出しても、それは嫌、と首を横に振るのです。
そうして、3月になりました。私は園内の業務で忙しくなり、もうMさんを抱っこするなどとっくにあきらめていました。

そして、3月23日、「すみれ組を送る会」の朝を迎えました。私は、いつものように玄関周りの掃き掃除をしていると、Mさんとお母さまが玄関(かぶの門)の横の小さな鉄門から入って来られました。私は内側から扉を開けると、まずMさんが私の目の前に来たので、
「今日はおめでとう!」と言いながら、いつものようにタッチしようと手のひらをさし出した、その時です。Mさんはいつもの表情のまま、両手を高く広げて私に向かって一歩、二歩と近づいて来たのです。するとお母様は、
「えっ、自分から?!……」と驚いておられ、私もこれまで一度も見たことがないこの光景に、衝撃に近い驚きを感じつつも、「ありがとうー!」と言って、Mさんを初めて抱きかかえました。

私は、この出来事をとおして、<子どもの内側に起こっている心の動きの不思議さ>を思わずにはいられません。この時のMさんは、私からのハイタッチに応えようとしたというより、今日抱っこしてもらうことをあらかじめ決めていたように、私には感じたのです。

Mさんの心の扉を開きたいと願い続けても、それは叶わないとあきらめていた私でしたが、最後の最後に少し近づけたような気がしました。
「あきらめずに待つ」という教育の本質的なありように、あらためて気づかされた出来事でした。
「何事にも時がある」。その時を待つ。あきらめずに、その子どもの成長を期待しつつ、待つ教師でありたいとMさんとの出来事を通して思わされました。(2024.3.31)

*「『園長!』の写真日記」は、ひかり幼稚園在園児及びそのご家族を念頭に、その日にあった出来事を写真と共に振り返りつつ、執筆するものです。